E44739(S833)

刀 無銘 伝 来国行

古刀 鎌倉時代中期(康元頃/1256~) 山城
刃長 73.6cm 反り 2.2cm 元幅 29.1mm 先幅 20.5mm 元重 7.0mm

保存刀剣鑑定書

附)小野光敬氏研磨・自筆鞘書白鞘

剣形:鎬造、庵棟、無銘。磨上げながらも尚踏ん張りを遺し、元先の幅差はさまに開かず、今尚輪反り深くついて京物らしい典雅な姿を遺て、中峰が猪首風に詰まる切先に結んだ豪壮な姿態を呈している。(刀身全体写真
鍛肌:小板目肌が深く錬れて絹目を織りなして詰み、処々に板目が交じって、かねつよく冴える。微細な地沸が厚く敷いて地斑調となり所謂『来映り』を呈する。地底より地景が湧いて変幻窮まりない沸の地相を魅せる。
刃文:小互目・小湾れ・小丁字を交えて多彩に変化して出入りあり、刃縁には小沸厚くつき匂口締まりごころに明るく冴え、刃境に金線・砂流しかかり、京逆足をみせて湯走りかかり下半わずかに潤む処がある。刃中の小沸深く、匂充満して明るい。
中心:磨上げ無銘。勝手下りの鑢目。浅い栗尻。目釘孔弐個。
帽子:小模様に乱れて小丸に返る。

 来国行と極められた太刀。山城鍛冶として最も繁栄した来派の事実上の祖は国行とされている。来太郎と称した。同工の作刀には制作年紀のあるものがないために、子の二字国俊の太刀に『弘安元年(1278)』の年紀が実在することから、製作年代を大凡、康元(1256)頃と推定することができる。銘文は『国行』と必ず二字銘できり、『来』を冠する作刀は慧眼しない。
 同工の作風は、三条物や粟田口派の作品に比すると貫禄ある姿のものが多い。身幅が広めに重ねが厚く、腰反りに踏ん張があって強い反りがある豪壮な造込を呈して、猪首風の中切先に結ぶ所謂、鎌倉中期に流布した体躯を呈するのが特徴である。鍛肌は総じて小板目肌つみ、地沸は細やかにつき地景交えて『来映り』と称される地斑調の映りがある。
 小沸主調の刃文は総て乱刃を焼いており、同時代の備前刀に観られるような華やかな小丁子乱れがある。また京物には珍しい棟に湯走り状の棟焼きを交えるものがある。鋩子は小模様に乱れ込むなど、来派初期物の特徴が明示されたものが多い。
 来派の作風は国行によって創造され、子の二字国俊の作風に受け継がれた。のちの世代、来国俊や来国光・了戒らにより同派の作品は昇華され全盛期を迎えたといえよう。

 鞘書きにある小野光敬(本名、清之助/1913~94)氏は、岩手県出身。十六歳より刀剣研磨の道を選び、二十五歳で本阿彌光遜に師事。東京国立博物館の刀剣室に勤務し、正倉院の刀剣148口をはじめ国宝,重要文化財の刀剣類研磨を数多く手がけた。刀剣研磨技術の第一人者として昭和五十年(1975)、本阿弥日洲(にっしゅう)とともに重要無形文化財保持者に認定された。平成六年六月二十九日歿(1994)、行年八十。
 この刀は平成元年(1989)、同氏により円熟の研磨を施されたもので、自筆の鞘書きが施されている。
金着二重はばき
参考資料:本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑』古刀篇一、大塚巧藝社、昭和四十三年