G74443(W3266)

脇差 銘 伯耆守藤原信高

新刀 江戸時代前期(寛文五年~/1665~) 尾張
刃長52.3cm 反り1.6cm 元幅33.6mm 元重7.2mm 先幅21.7mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟が高い。身幅が殊の外広く、刃と棟の区は共に深い。反りがやや深めについて中鋒が延びる。(刀身拡大写真
鍛肌:大板目肌に杢目交えよく練れて詰み、刃寄りは柾目状に流れる。地錵厚く付いて太い地景が深遠より湧き出して地肌に漲る様は圧巻である。
刃紋:小錵本位の広直刃。打のけ、ほつれ、小足など繁く無数に射して葉が浮ぶ。刃中は匂い充満して砂流しかかる。
帽子:小丸に長めに返り棟焼に繋がる。
茎:生ぶ。鑢目大筋違い。目釘孔弐個。茎尻は刃上り栗形。茎丸棟。佩表に『伯耆守藤原信高』の長銘がある。

 河村三之丞信高は寛永九年に二代信高の長子とした生まれた。初銘を『信照』という。寛文五年三月五日、三十四歳のときに伯耆守を受領し三代信高を襲名した。同年五月に尾張二代藩主徳川光友の命により尾張徳川家のお抱え鍛冶に任じられ扶持十人分を受け、父と共に尾張徳川家の藩工として勤めた。宝永四年八月二十日没、享年七十六。
 寛文から延宝年間は刀剣の需要が多く、特に武芸の盛んな尾張国では頑丈な造形のものが求められ。同藩の剣術指南役である柳生連也厳包の佩刀を鍛えた信高の刀は質実剛健を旨としながらもその豪壮な作りこみと業物としての名声を世に知らしめた。父である閑遊入道信高と協力して鍛刀に励み、歴代信高中、二代・三代合作の刀がもっとも出来が優れているといわれている。
 伯耆守藤原信高の銘については二代・三代の銘振り・茎仕立てが近似していることから代別が困難ではあるものの、詳細に観ると銘の特徴として『守』の第三画は中央に向って角度付き鏨を運ぶこと、さらには『藤』の第三画は『月』の肩に向って長く斜めに切る、『信』の最終画はやや右下方に鏨を跳ねるなどの特徴は三代河村三之丞信高の切銘と考えられている。
 本作は尾張藩上級武士の需打ちであろう。元の身幅は殊の外広く、鎬筋高い強靱な体躯は尾張武士委の貫禄を湛え、地錵に呼応して太く表出する地景は硬軟の鋼を折り返し鍛錬した証である。茎の鑢目、銘字の鏨は鮮明で保存状態がよい。
尾張はばき(下貝赤銅・上貝金着せ)・白鞘入
参考文献:
『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和59年3月31日
『刀剣美術』第357号、日本美術刀剣保存協会、昭和61年10月