H123491(W7593)

脇指 銘 播磨大掾藤原重高 越前住

新刀 江戸時代初期 (寛永頃/1624~)越前
刃長 53.7cm 反り 1.6cm 元幅 29.3mm 先幅 20.0mm 元重 6.0mm

白鞘(佐藤寒山先生鞘書

 

剣形:鎬造り、庵棟。鎬筋高く平肉がつき、やや深めの中間反りがつく。元先の幅差がややついて中峰に結ぶ寛永頃に流布した典型姿。(刀身拡大写真
地鉄:地鉄はやや黒味を帯び地沸つき、板目肌が詰んで流れる肌目を交え総体肌立ちごころ。鎬地は柾ごころ。
刃紋:区上に互の目の腰刃を焼き、広直刃に小互の目・小乱れを交える。刃縁には小沸がよくついて明るく冴え、刃中匂い深く、葉浮かび互の目の沸足が入り様々な働きがあり見所豊か。
帽子:鋩子の焼刃強く直ぐに中丸となり返り深く留まる。
茎:生ぶ、目釘穴壱個。刃長に比してやや短めの茎は浅い栗尻に結ぶ。浅い勝手下がりの鑢目に棟肉平でここには大筋違いの鑢目がある。佩表の鎬地にやや小振りの天地の詰まった書体で『播磨大掾藤原重高』の長銘、裏には『越前住』と鏨がある。
 江戸時代初期の越前福井は徳川幕府の軍事政策上の要所として尚武の気風旺盛で刀の需要も高かった。美濃より兼種、兼法、兼則らが移住し、山城国からは大和大掾正則が来住。さらには古刀期よりの下坂派・初代康継が葵紋を賜り、また堀川派の山城守国清らが朝廷より菊花紋を許されて互いにその技を競った。
 表題の初代、播磨大掾藤原重高は信州飯田生まれ。美濃の関鍛冶兼則の門人となり、師と共に越前一乗谷に来住し播磨大掾を受領。武州にても作刀し業物に列位された尚武の気風に応じた作刀を遺した越前新刀の名門である。以降幕政時代を通じて十一代まで続いた。
 この脇指は壱尺七寸七分強と寸がのびた大脇指。裁断に適した頃合いの反りがついて鎬筋は凛として高く、鎬地の肉は棟にむかって削がれた強靭な造り込みは寛永頃の体躯の特徴を明示している。島原の乱を経て動乱の世に備えんと剣術に余念のない尚武の気運醒めやらぬ時代背景を映し出している。

金着はばき、白鞘入(佐藤寒山先生鞘書