T105924(T5013)

短刀 銘 兼秋

古刀 室町時代後期(天文頃/1532~) 美濃
刃長 29.4cm 反り 0.2cm 元幅 25.4mm 重ね 5.4mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:平造り、庵棟。身幅尋常に僅かに反りがつき、ふくらがやや枯れごころの大振りな短刀。表裏には茎に掻き流しの棒樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌つんで棟寄りに柾肌流れ地中に白気映り立つ。
刃文:兼房丁子乱れに箱刃の匂口締まり、表裏の刃文揃いごころ。刃中の匂充満して砂流しかかり、匂口明るく冴える。
帽子:乱れ込んで地蔵風にのたれて中丸、棟の返りに小互の目を連ねて深く焼き下げる。
茎:生ぶ。目釘孔弐個。茎尻刃上がりの浅い剣形。細目檜垣の鑢、棟肉平で大筋違の鑢目がある。指表の目釘孔下には大振り細鏨で『兼秋』と二字銘がある。
 関の兼秋は『日本刀銘鑑』によると、永正頃の孫四郎兼秋と天文頃の兼秋の二人が見受けられる。この短刀は寸延びて大振りな体躯と銘の鏨はこびから天文頃の兼秋の作とおもわれる。兼春の子という。
 室町時代の美濃鍛冶の中心地である関に集結した刀鍛冶らは、永享五年(1433)に刀祖神を奈良の春日大社から関の春日神社に分祀し関刀鍛冶の本拠地として奉り崇めて神事祭礼をおこない自治組織としての『鍛冶座』を組織した。関鍛冶は『兼』を冠するものが殆どであり、これが藤原鎌足の「鎌」のつくりを用いたと伝えられるように、関の刀鍛冶達が春日神社氏子の有資格者であることを示したとも考えられている。
 現存する『兼秋』の多くは天文~天正頃(1532~91)にかけての作品で、短刀の焼刃には本作のように表裏の揃った腰括れの兼房丁子乱れを焼き、帽子は乱れ込んで地蔵風となる。
檜垣鑢金着せはばき、白鞘入
参考文献:
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、平成十八年
得能一男『美濃刀大鑑』大塚工藝社、昭和五十年
加納友道『美濃刀押形集』昭和五十二年