T162672(W2745)

脇指 銘 陸奥守藤原兼信 附)黒漆三分刻鞘脇指拵

新刀 江戸時代前期(明暦頃/1655~) 美濃
刃長49.5cm 反り1.0cm 元幅31.6mm 先幅23.1mm 元重7.6mm

保存刀剣鑑定書

附)黒漆三分刻鞘脇指拵

 

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、重ね頗る厚く、鎬筋凛として高い重厚な造り込み。元先の幅差頃合いについて中峰にむすぶ勇壮な姿をしている。(刀身全体写真
鍛肌:板目肌が総体肌立ち、鎬地柾。地沸つき板目の肌目に沿った地景が表出した強い肌目。
刃紋:匂い口締まりごころの三本杉の焼刃は高く、刃縁に小沸よくついて、刃先に向かい足長く放射して明るく冴える。乱れの足を遮って砂流し・金線がかかり、刃中に葉が浮かぶなど精緻な沸匂の働きがある。
中心:茎生ぶ。目釘孔二個。鑢目は鷹の羽で棟肉豊かについて、ここには切の鑢目。茎尻は栗尻が張る。掃表の鎬地寄りには大振りの力強い鏨で『陸奥守藤原兼信』と長銘がある。
帽子:横手筋で大互の目を焼いて焼刃高く一枚風に乱れ込み、小丸に深く返って棟焼きとなる。

 古刀期の美濃刀鍛冶は備前国長船鍛冶とともに東西横綱格として刀剣製作の全盛期をむかえていた。美濃の直江志津兼信は南北朝時代中期から応永にかけての三十数年の短い期間で栄え、室町時代には赤坂や関に居を移して繁昌した。兼信は初代を応安頃(1358~)、志津三郎兼氏の子もしくは門人と伝え、後代は関に移り同銘が数代続いている。
 新刀期にはいると美濃国諸鍛冶の大部分は城下町に移住して大藩の需に応じ新刀期の繁栄の中核をなしている。新刀期の『兼信』は同銘数人が越前、摂津、加賀へと移住し、本国美濃では『田代源一兼信・大和守兼信』一門と表題の『陸奥守藤原兼信』一門が本流をなし元禄頃まで続いたようである。
 表題の脇指の作者、初代『陸奥守藤原兼信』は明暦頃(1655~)、美濃神戸住(現、安八郡神戸町)に鞴を構え、寛文頃の二代・田代角兵衛兼信、元禄頃の三代・陸奥守兼信と継承された。
 本作は身幅の広いがっちりとしたとした体躯に兼元の如く小沸出来の三本杉を高く焼いて美濃伝を継承している。刃棟区とも深く、粗い鷹の羽の鑢目に鏨深い威風堂々とした鏨運びで銘を切る。

附)黒漆三分刻鞘脇指拵拵全体写真拵拡大写真①拵拡大写真②
  • 縁頭:真鍮叩地 無銘
  • 目貫:竪笛図 鉄地
  • 鍔:鉄地 無文 銘 国廣
  • 柄:金襴包 黒色常組糸捻巻
  • 鞘:黒漆三分刻、鉄地強化鯉口、鉄鐺、銀地栗形、小柄欠
鉄地菊座切羽、銀着せ時代はばき、白鞘付属