O62516(S2073)

刀 銘 上総介藤原兼重 附)青貝散五月雨塗鞘肥後打刀拵

新刀 江戸時代前期(寛文頃/1661~) 武州
刃長 61.9cm 反り 1.2cm 元幅 29.8mm 先幅 18.6mm 元重 6.1mm

特別保存刀剣鑑定書

附)青貝散五月雨塗鞘肥後打刀拵

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅やや広く浅めの反りがつき、元先の幅差がついて中峰に結ぶ寛文頃に広く流布した打刀姿で素早い抜刀と片手打ちに適した体躯。表には丸留棒樋の彫物、裏には二筋樋の彫物がある。(刀身拡大写真
地鉄:鍛肌は大板目肌となり、刃・棟寄りは柾目鍛を交えて、総体肌立ちごころ。地沸が厚くついて沸映りたち明るく冴え、太い地景が顕れた強い地鉄をしている。
刃紋:沸主調の互の目乱れ。ごくわずかに直調子に焼だし、所詮『江戸焼だし』があり、浅く湾れて数珠刃と称される焼頭が揃いごころの互の目を連ねて焼く。刃縁には小沸が頗る厚く積もり、刃中の匂いは更に深く、太い互の目の沸足が刃先に向かい長く放射し、砂流しを交えて明るく冴えて豊かな働きがある。
帽子:横手下で小沸さらに厚くついて砂流し頻りに絡んで目立ち、直調子に烈しく掃きかけて火炎風となり小丸に返る。
茎:生ぶ、目釘穴壱個。やや長めに先細り、刃上がり栗尻。鑢目は磨りだしが切り、急角度の大筋違となる。佩表の鎬筋上にやや小振り・細鏨の隷書体で『上総介藤原兼重』の長銘がある。
 『上総介兼重』は江戸時代寛文期頃の刀工で和泉守兼重の子と伝えられる。名を辻助右衛門という。師である父、『和泉守兼重』ともに生国は越前で藤堂家に仕えた。
 一説によると、『和泉守兼重』は剣豪、宮本武蔵の口添えで伊勢国藤堂藩のお抱え刀工となり、藩主の藤堂高虎が和泉守であったのを憚り、和泉大掾・上総介に転じたと伝えられている。
 和泉守兼重は同郷の中曽祢虎徹の師匠として最有力視されている。地鉄鍛えは頗る強く冴え、数珠刃を形成し、茎の仕立などの所伝は門下の虎徹、上総介兼重、千手院盛国や試斬派の山野家を通じてその斬れ味を立証され伝播したと考えられよう。
 表題の『上総介兼重』は主として武州で鍛刀しており、江戸三代康継や法城寺正照との合作刀があるなど江戸新刀名作の双璧をなしている。さらには、試断家の山野加右衛門永久、山野勘十郎久英親子らによる金象嵌裁断試し斬り銘のある作刀が継続的に残されている。新撰組の藤堂平助の愛刀は上総介兼重だったという。
 本作は板目肌鍛が強く冴えて沸映りがたち、焼刃は直の江戸焼だしにはじまり、数珠刃となる。上半は良質な小沸がさらに厚く積もり砂流しがしきりとかかり匂さらに深く、横手で互の目をひとつ焼いて直調子の帽子に結ぶなどの作域は同門の虎徹とほぼ同様で出来が良い。
 新刀上々作、良業物の誉れ高い。良質の江戸肥後拵が附帯している。

附)青貝散五月雨塗鞘肥後打刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:七宝紋繋図 鉄磨地、金平象嵌、無銘
  • 目貫:三双四つ菱紋 素銅容彫、金色絵
  • 鍔:桐鳳凰図 八つ木瓜形、鉄地、金平象嵌、無銘
  • 鐺:桐雷紋渦図 鉄地、金銀平象嵌
  • 柄:黒漆塗鮫着、燻革諸撮菱巻

銅地銀着庄内はばき、白鞘付属
参考文献:
本間薫山・石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和50年