H7581(S5903)

刀 銘 相州住廣正

古刀 室町時代後期(永正頃/1504~) 相模
刃長 65.3cm 反り 2.1cm 元幅 31.8mm 先幅 22.5mm 元重 7.1mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造、庵棟。重ね厚く身幅広く鎬筋が高く、棟にむかって肉を削いだ作り込み。元先の幅差さまに開かずに深めの反りが付いて中峰延びる強固な造り込みをしている。(刀身拡大写真
鍛肌:地鉄やや黒く沈み、大板目に杢交じえ肌立ち強い鍛肌をして、地沸厚くついて太い地景入る。
刃文:匂主調の湾れに小互の目・小丁子を交えて刃縁に小沸ついて焼刃は処々沸崩れ、叢沸がつき湯走り状となり二重刃を形成する。焼刃は総じて変化があり野趣に富んでいる。
帽子:焼強く、高く、刃縁はさかんに掃きかけて乱れ込み焼詰めごころ。
茎:一寸五分ほどの区送り磨上げ、栗尻は切。目釘孔二個。鑢目は切。鎬地上にはやや小振りの五字銘『相州住廣正』とある。
 相州伝は行光を祖として正宗を経て貞宗へと伝承され、南北朝時代の広光・秋広へと全盛期を迎えた。室町時代の廣正・正廣や桃山時代の綱廣の作例が非常に少なくなっているのは、戦国時代の豪族・大名の勢力衰退だけでなく、幕政時代以降に同工らの作刀が上位の相州伝刀工に改竄されていることも考えられよう。
 廣正は、銘鑑によれば、初代を延文頃(1356~)としているが遺例がなく、二代の廣正は永和頃(1375~)の正廣の子・廣光門人とある。三代は応永頃(1394~)、以降文安頃(1444~)の四代、文明頃(1469~)の五代、永正頃(1504~)の六代と続く。
 本刀は五代か六代に該当する現存稀有な打刀である。同派の作品は寸延びの平造り脇指が多く、鎬造りの打刀の遺例は少ない。鍛えは大板目肌立ち地沸が厚くつき、太い地景が躍動してうごめき迫力がある。鎬筋が凛として高く重ね厚く、身幅の広い切先が延びた豪壮な造り込みは尚武の気風に溢れ、鎬筋に遺る誉れ跡は雄渾たる武士の息吹を今に伝えている。
金着祐乗やすりはばき、白鞘入
参考文献:
本間薫山・石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和50年