A30667(W5084)

脇差 銘 横山上野大掾藤原祐定 備州長舩住人

新刀 江戸時代前期(寛文・延宝頃/1664~) 備前
刃長 54.5cm 反り 1.0cm 元幅 30.3mm 先幅 22.0mm 元重 6.6mm

保存刀剣鑑定書

 

 

 

 

剣形:鎬造り、やや高い庵棟。身幅広く浅めの反りがついて、元先の幅差さまに開かずに物打近辺の身幅張って中峰のびる。寛文~延宝期に流布した寸延びの重厚な脇指の造り込み。(刀身拡大写真
地鉄:地鉄小板目微塵に詰み地沸が厚くつき、地景が美麗に表出してよく冴えた強靱な地鉄。鎬地は柾目肌が顕著。
刃紋:総体に小沸出来で下半は匂い口締まりごころ。元を直ぐに焼きだした互の目丁子乱れ。祐定家伝の『蟹の爪』と称される焼刃を鎬筋まで届かんばかりに高く焼いた華やかな刃文。物打近辺の焼刃は沸がよくつき、乱れの谷にはさらに厚く積もりここに砂流しが頻りにかかる。互の目丁子の太い沸足は刃先に向かい放射して沸の闊達な働きがある。
帽子:横手下で互の目を焼いて帽子の焼刃は直ぐに大丸となり返りやや深く留まる。
茎:生ぶ。鑢目は浅い勝手下がり。両区深く刃上がり栗尻張る。目釘孔壱個。棟肉平に大筋違の鑢目がある。佩表の鎬地上方より太鏨の長銘『横山上野大掾藤原祐定』とある。裏の鎬地にには二字分下方には出自の『備州長舩住人』がある。
 表題の大脇指は上作備前鍛冶、横山上野大掾祐定の姿の良い典型作。
 天正十九年(1591)八月の大洪水による吉井川氾濫により、多くの長船鍛冶場は消失して壊滅的な被害を受けている。新刀期の備前の刀工は永正頃の名工と唱われた与三左衛門尉祐定から数えて四代目にあたる横山藤四郎祐定を中興の祖とし、その子四人がそれぞれ祐定を名乗り独立一家を興している。なかでも七兵衛尉家、源左衛門尉家、宗左衛門尉家は江戸時代を通じて大いに繁盛している。
 上野大掾祐定は七兵衛尉嫡子、名を横山平兵衛という。宗家の与三左衛門尉祐定六代目を継いだ名手で新刀期備前刀工の大御所として高名。祐定一流の蟹の爪を交えた丁子乱れを得意とし、公卿一条家に仕え上京し作刀、寛文四年七月十一日上野大掾を受領。万治末年から正徳年間(1660~1715)までの作刀年紀があり、享保六年十一月二十九日(1721)歿、享年八十九の長寿であった。以降、七兵衛尉祐定家は定治祐定(寿守)の十代まで続いたという(注)
 この脇指は常に比して大振りで身幅広く中峰延びた勇壮な造り込みで両区とも深く、茎尻の張った所謂、備前茎を有する勇壮な体躯は新刀備前の絶頂期を明示し、常に比して闊達で変化のある焼刃は横山上野大掾祐定の典型で殊更に出来がよい。
銀はばき、白鞘入り
注)与三左衛門祐定(初代)→源兵衛尉祐定(二代)→七郎右衛門尉祐定(三代)→藤四郎祐定(四代)→七兵衛尉祐定(五代)→上野大掾祐定(六代)→大和大掾祐定(七代)→忠之進祐定(八代)→後七兵衛尉祐定・寿光(九代)→定治祐定・寿守(十代)
参考文献:
加島 進 『長船町史・刀剣編図録』大塚巧藝社 平成十年
本間薫山・石井昌國 『日本刀大鑑』雄山閣 昭和五十年