A47988(W2748)

脇指 銘 越前住下坂國継

新刀 江戸時代初期 (寛永頃/1624~43) 越前
刃長 51.6 cm 反り 1.3 cm 元幅 30.7 mm 先幅 21.2 mm 元重 6.3 mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。重ね尋常に身幅広く、頃合いの反りがつき、元先の身幅差がさまに開かず中延びごころ、寛永頃に流布した勇壮かつ洗練された姿をして手持ち重量があって力強い剣形。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌錬れて詰み杢目を交え鍛硬く締まり地沸微塵につく。
刃紋:総体に小沸本位で匂い口締まる。元から互の目・丁子、腰の括れた刃・逆がかった丁子や箱刃・矢筈刃など交えて焼き高く変化に富んで賑やか。僅かに棟焼きがある。刃中は互の目の足入り、刃中葉浮かび物打ち付近に砂流しかかる。
帽子:横手で互の目を焼いて直ぐ調にやや乱れ込んで掃きかけ中丸となり、深く焼き下げる。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下り。 茎肉平、ここに勝手下りの化粧鑢がある。茎尻は剣形、目釘孔壱個。佩表の鎬筋上には鮮明な鏨枕でやや小振りの長銘『越前住下坂國継』とある。
 國継は越前下坂一派に属し、時代寛永(1624~)頃の刀工とつたえる。数代にわたって一派の頭領である康継をたすけ、銘鑑によると後代は正徳二年(1712)に山城に移住し『平安城藤原國継』と銘をきるという。下坂一派には兼先をはじめ、貞国・貞次・貞重などの『貞』の字を冠する刀工や継貞・継平・継廣など『継』の字を有する刀工などおり、郷里の近江国下坂村の『下坂』を銘に附す一派である。
 表題の脇指は元の身幅広く元先の幅差さまに開かずに頃合いの反りが付いて中峰に結ぶ寛永頃の体躯を有している。青く澄んだ地鉄には北陸地方の卸鉄の特徴があり、小沸本位で匂い口の締まった互の目・丁子を焼刃には古刀期美濃伝の特徴を有する。さらには棟焼きがあるなど越前関一派の特徴がある。勝手下りの鑢目や茎尻を剣形に結ぶ茎仕立ては康継のそれに近似する。國継は康継工房での勤務が永かったのであろうか、自身銘の作刀数少なく慧眼する機会も稀有で珍しいものといえる。
 佩表の中頃、鎬筋に二箇所、横手筋に一箇所、はばき下の平地に一箇所の鍛え割れがある。
銀着せ二重はばき、白鞘入り
参考資料:石井昌國・本間順治『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年