G62433(S3272)

刀 銘 濃州住兼秀作 昭和六十一年六月日 附)黒漆塗鞘打刀拵

現代刀 (昭和六十一年/1986) 岐阜県
刃長 70.6cm 反り 1.7cm 元幅 32.4mm 先幅 24.0cm 元重 7.9mm

関市・岐阜県指定無形文化財保持者
履歴書

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、元先の幅差目立たずやや浅めの反りがつき中峰延びる。(刀身拡大写真
地鉄:板目に杢目交じりの鍛肌は総体潤いがあり、刃寄り流れて柾ごころがある。地沸よくついて地景入る。
刃文:沸本位の湾れに互の目交じりの刃文は焼刃高低抑揚があり、刃縁に粗めの沸積もり互の目の足を跨いで肌目に沿って沸筋が長く表出して、砂流しが頻りにかかり、一部はは湯走り強く表れるなどなど、抑揚ある闊達な焼刃。
帽子:乱れ込んで掃きかけごころに中丸。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。刃上がり茎尻、目釘孔一個。佩表の鎬地に『濃州住兼秀作』、裏には『昭和六十一年六月日』の年紀がある。
 中田 勇、刀匠銘『兼秀』は大正二年(1913)八月二十四日、長野県木曽郡大桑村に生まれた。昭和三年(1928)、大桑村の尋常小学校卒業後は高知県安芸市、十二代川島正秀鍛錬所にて徒弟として八年間の鍛錬技術習得後、同十二年(1937)二月には岐阜県関市に移住し渡辺兼永の門下で日本刀美濃伝の研究に着手、同十二年十月から十五年十月まで日本刀鍛錬塾の塾生長となる。ヒットラー・ムッソリーニ両首相に日本刀を献上、同十六年(1941)に関刀剣株式会社に陸軍指定刀匠として入社後は優秀な鍛錬技術を認められて東條英機総理大臣に軍刀を献上するなど昭和前期を代表する刀匠である。
 同三十年(1955)、(財)日本美術刀剣保存協会主催の作刀技術発表会での初入選後は努力賞2回、入選13回を連続受賞した。同三十二年(1957)、天皇・皇后両陛下への献上刀を鍛錬、同三十八年(1963)、『兼秀日本刀鍛錬所』を設立して日本刀の鍛錬と研究に専念した。
 昭和五十一年(1976)十一月二十二日『関市重要無形文化財』認定、翌五十二年(1977)三月十一日には『岐阜県重要無銘文化財』に指定されている。
この刀は常に比して身幅広く、平地が広い。鎬の重ねが7.9mmと高く棟に向かい肉を削ぎ落とした強固な造り込みで、鞘を払って1200グラムに調整されている。打ち卸しの原姿を留めた健全な体躯を保ち、兼秀刀匠七十二歳円熟期、南北朝期の相州伝上位刀工に範を取った秀作である。
黒漆塗鞘天正打刀拵全体写真各部拡大写真
大粒の白鮫を着せた柄下地は中程を絞って立鼓状とし、妙味ある構成線を作り出して手によく馴染む。角製の頭は大きく、山銅石目地仕立ての大振りな縁に色絵牡丹図の目貫を充て、黒色糸を諸撮巻きで引き締めている。漆黒色の鉄地時雨亭透図鐔を付した上質の天正風打刀拵が付属している。
金着腰祐乗鑢はばき、白鞘は付属しません。