T166148(S826)

刀 無銘 青江

古刀 鎌倉時代末期 (約700年前) 備中
刃長 70.2cm 反り 2.2cm 元幅 29.5mm 先幅 20.4mm 元厚 6.7mm

第四十六回重要刀剣

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広め、元先の幅差さまで開かず、大磨上ながらも反り深く、腰反りつき、中峰。表裏には掻き流しの棒樋の彫り物がある。(刀身拡大写真)・(刀身押型
地鉄:小板目に小杢目交じり、肌目細かに立ち、地沸微塵に厚くつき、地景入り、地斑ごころを交え乱れ映り立つ。
刃紋:中直刃調に小互の目交じり、足・葉入り、匂深く、沸よくつき、刃縁処々ほつれ、金筋・砂流し掛かり、匂口明るく冴える。
帽子:浅く乱れ込み、先尖りごころに小丸に返り、掃きかけ、金筋入る。
茎:大磨上、無銘。茎尻切り、鑢目勝手下がり、目釘孔三。
 青江鍛冶は平安時代の昔から南北朝時代にかけて高梁川下流域を中心に繁栄し、守次・貞次・恒次などの名匠達が多数輩出した一派として知られている。隣国の備前長船鍛冶が平安時代、鎌倉、南北朝期から室町時代にかけて連綿と受け継がれてきたのに対して、青江鍛冶は南北朝時代に南朝方についた豪族と運命を共にして急激に衰退し応永時代には青江の地から槌音は完全に途絶えてしまった。
 これらの青江鍛冶作刀中、鎌倉中期頃までのものを『古青江』と称し、それ以降南北朝期にかけての物を『青江』と呼称して区別している。古青江の作風は小錵出来で匂口が沈んだ直刃仕立てに小乱を交えたものが多く、鎌倉時代後期になると錵付きがやや穏やかとなり、さらに南北朝、所謂中青江作風はは匂口が締まり明るく冴えた出来口を見せるようになる。
 この刀は小板目に小杢目がまじった鍛えで、肌目が細かに立って縮緬状の肌合いを呈し、地斑ごころを交え、乱れ映りがたち、刃文は中直刃調に小互の目が交じり足・葉が入り、帽子は先が尖りごころとなるなど、青江の見どころをよく健在しているが、とりわけ、焼刃が匂深で、沸がよくつき、刃中もさかんに働いている出来口から、制作年代は鎌倉時代最末期と鑑せられるものである。地沸が微塵に厚くつき、地景を交えた鍛えには見どころが多く、また刃文は同期のものとしても特に匂深で、沸づき、刃中の働きも豊富であり、放胆で迫力が感ぜられる。匂口が明るく冴えた青江極めの出来のよい一口である。
金着太刀はばき、白鞘入り
参考資料:重要刀剣図録