K3225(W2772)

脇指 銘 近江大掾藤原忠廣

新刀 江戸時代前期 (正保 1644-47年頃) 肥前
刃長53.3cm 反り1.0cm 元幅31.5mm 元厚7.0mm 先幅21.9mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、重ねやや厚めで、元先の幅差がさまで開かず、物打ちあたりの身幅も張って中峰のびる。(刀身拡大写真
鍛肌:小板目肌が精緻によく詰み、地沸微塵に厚くついて地景細やかによく入り、鉄色冴える。佩表の中頃には澄肌があり、裏の下半にはやや肌立つところがある。
刃紋:中直刃僅かに湾れ、刀身中程には葉が連続して二重刃状になる。刃縁には小沸が帯状に積もり匂口明るく冴える。刃中は春霞のごとく匂いが充満して鼠足が看取できる。
帽子:直ぐに掃きかけて中丸となりやや深く返る。
茎:茎尻を僅かに擦りあげて茎尻は切。 鑢目は浅い勝手上がり。棟肉平、目釘孔三個。佩表の棟寄りに『近江大掾藤原忠廣』と長銘がある。
 近江大掾忠廣は初代忠吉の子。はじめ橋本平作郎のち新左衛門を襲名。寛永九年(1632)父忠吉没後、忠廣を襲名してから終世忠廣を名乗り忠吉を名乗らなかった。寛永十八年(1641)七月二十二日近江大掾を受領し、屋敷と切米二十石を拝領。元禄六年(1693)五月二十七日没、享年八十であった。
 寛永七年から元禄初めまでの作品が残り、52年の長きに渡って幾多の名品を世に送り続けた巧手であった。 鎌倉時代の山城国、来国光の作刀を念頭に、小板目肌に微塵の地錵を涌きだたせる所謂『小糠肌』の地鉄に帯状の匂口に明るい小錵がついた直刃を焼いた肥前刀を完成の域に至らしめた。刀は太刀銘に、脇差および短刀は佩表の刀銘に切るのが通常であるが、例外として二尺を超える刀にも脇差として作ったものは刀銘を切ることもある。「肥前國住藤原忠廣」「近江大掾藤原忠廣」「肥前國住近江大掾藤原忠廣」「肥前國忠廣」「忠廣」などの銘を見る。大業物・上々作
金着腰祐乗鑢はばき、白鞘入り