A41691(W2761)

脇指 銘 大兼道 附)茶菜種塗鞘脇指尾張拵

古刀 室町時代末期 (元亀頃/1570-72) 美濃
刃長37.7cm 反り0.5cm 元幅30.5mm 元厚5.6mm

押型

附)茶菜種塗鞘脇指尾張拵

特別保存刀剣・保存刀装具鑑定書

 

 

剣形:平造り、庵棟、身幅は広く、重ねは尋常。寸が延びてふくら豊かに張り、やや浅めの中間反りに先反りが加わる。表裏の棟寄りには樋先が大きく下がった上品な棒樋を茎に掻き流す。安土桃山期に戦国大名やその家臣らが嗜好した異風堂々とした姿をしている。(刀身拡大写真)(押型
鍛肌:板目に杢目肌を交えて棟寄りに柾目状の肌目がある。総体に鍛接部が緻密につんで地沸つき、刃区より水影状の映りがたつ。鉄色冴えて地鉄潤い、繊細な地景が地鉄の深淵より湧き出す様は鮮やかで美しい。
刃紋:腰元に小互の目を一つ焼いて、腰の括れた背の高い大互の目を二つ連ね、さらに小互の目を一つ焼いて中直刃につながる。大互の目の谷には細かな錵が凝り、ここに砂流しがかかる。直刃の刃縁は冴えた小沸がやや締まりごころとなり刃中匂い充満して明るい。
帽子:僅かに湾れて中丸となり返りが長い。
茎:生ぶ。茎目釘孔弐個(上方の第一目釘孔が生ぶ孔)。鑢目は檜垣、棟肉平。茎尻は栗尻張る。第一目釘孔下に細鏨で『大兼道』の三字銘がある。
 兼道(のち『大道』と改銘)は志津三郎兼氏九代孫と伝えられている。室町時代後期、兼常(のちの政常)、兼房(のちの氏房)と並ぶ良工として知られている。 『兼道』銘としては最古の年紀作、天文十六年紀(1547)にはじまり永禄五年紀(1562)の作品を観ることができ、おおよその活躍期を知ることが出来る。
 『大道記』によると永禄十二年春(1569)に正親町(おおぎまち)天皇に名剣を献上し、その功績により『陸奥守』に任ぜられ、さらには『大』の一字を賜り、その栄誉を記して兼道の上に『大』を冠して『大兼道』と称号し、『大道』と改銘している。
 『大道』銘および『陸奥守』を冠したものは天正元年(1573)九月年紀のある刀にはじまり、以降天正十九年紀(1591)までのものがあり、兼道(大道)の槌住地については天文十六年紀(1547)「濃州関住」にはじまり、天正十九年紀(1591)「濃州岐阜住」の記録が残っている。
 『兼道』一派は新刀期の三品派の始祖としても高名である。文禄年間(1592-95)には伊賀守金道・来金道・丹波守吉道・越中守正俊・四子を引き連れて上京し西の洞院夷川へ移住したと伝えられている。
 長子の伊賀守金道は文禄二年(1593)に日本鍛冶惣匠の称号を天子より賜り、幕政時代を通じて鍛冶受領の斡旋を行っている。次男の来金道、三男の丹波守吉道、四男の越中守正俊らは桃山時代の豪華絢爛な作風を採り入れて、美濃伝に相州伝を強く加味した個性豊かな遺作を残して名高い。
 表題の作品は寸延び平造りの小脇指である。前述の資料および現存する年紀作より勘案すると、『大兼道』の称銘は、およそ元亀年間(1570-72)の数年間であったとおもわれる。本作の茎鑢は本伝を示す檜垣鑢となっている(受領のために上洛以降の作品、すなわち天正元年以降の『陸奥守』を冠した『大道』銘の鑢目は勝手下がりになっている)
 『大兼道』の称号のある現存作は稀有であり資料的にも大変貴重な優品である。
付帯の茶菜種塗鞘脇指尾張拵は完存の入念作で保存状態が優れる。(拵全身写真小道具拡大写真
角所(鯉口・栗形・返り角):角製 黒漆塗
縁:赤銅魚子地 蟻腰形 無銘
頭:屈輪図 山銅磨地 鋤出彫
目貫:樋定規に家紋図 四分一地 容彫
小柄欠く
柄:黒漆塗鮫着 金茶色常組糸撮菱巻
下緒:桜花文散燻革
切羽:金着尾張切羽
はばき:金着せ(白鞘用に新規製作・菜種塗拵鞘用のはばきは欠損)
鐔:雁に茗荷透 竪丸形 鉄地透 毛彫 耳銀覆輪 両櫃孔 無銘
参考文献 : 鈴木卓夫・杉浦良幸 『室町期美濃刀工の研究』 里文出版 平成十八年