N56869(W3388)

脇指 銘 菊紋 近江守源久道 附)黒皺革塗鞘半太刀脇指拵

新刀 江戸時代前期(寛文頃/約350年前) 山城
刃長 55.4cm 反り 1.7cm 元幅 33.3mm 先幅 22.4mm 重ね 7.2mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒皺革塗鞘半太刀脇指拵

剣形:鎬造り、庵棟。身幅が殊のほか広い。反りやや深めに付いて中切先にむすぶ。重量があり、どっしりとした手持ちが頗る印象的。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌が精緻に詰んで、杢目を交え、地沸が厚く微塵に付き鉄色冴える。緻密な地景が沸き美しい肌目を織りなす。
刃紋:総体に沸本位で、直に焼きだして、湾れを主調に、ここに大の互の目や大房丁子を交える。焼刃は高く、刃縁には錵が厚く積り、一部は湯走り状態となり地に溢れるところがある・刃中は匂い深く充満して、太い互の目足が長く顕れて、ここに砂流しが流れ明るい匂い口を呈する。
帽子:直調子に中丸となり、やや先掃きかけて中丸に返る。
茎:生ぶ。鑢目は大筋違い。茎は栗尻入山形、棟肉平。目釘孔壱個。掃表目釘孔上に十六葉の菊紋、目釘孔をはさんで『近江守源久道』の銘がある。
 初代近江守久道は名を掘六郎兵衛、二代金道の弟子にあたり伊賀守来金道、和泉守金道、丹波守吉道、越中守正俊とともに「京五鍛冶」と呼称され、三品派の一翼を担う近江守久道家を創設した。
 寛文元年(1661)近江大掾を受領、同年近江守に転じて正徳元年八十五歳にて没している。彼の作刀には十六葉の菊紋を切るものと延宝8年以降には枝菊紋を切るものとがあり、これは二代の代作であるとされている。本作は身幅殊のほか広く、一尺八寸三分と寸が伸びた大脇指で、焼刃は鎬筋に届かんばかりに広く、のたれ調に大互の目を焼き、沸づいて砂流しを交え、姿、地鉄、刃文全てに健躯さを表出した優品である。元幅が壱寸壱分強もあり、さらには長寸の剣形は豪腕の武士の特別注文であったであろう。
附帯の『黒皺革塗鞘半太刀拵』:(刀装具詳細画像打刀拵全体画像
黒漆塗鮫着燻革巻柄。
総金具鉄磨地(縁頭、栗形、責金物、石突金物)。
赤銅地三双五三桐紋図目貫。
赤銅魚子地家紋散二所物。
四分一磨地龍図片切彫鐔。
製作当時の元姿を留めており、内外ともに完存品であることは稀有である。
金着せはばき、白鞘入