M26371(S8892)

太刀 備州長船家重 應永七年十月日 附)黒石目地塗鞘半太刀拵

古刀 室町時代初期(應永七年/1400年) 備前
刃長70.5cm 反り1.8cm 元幅28.0mm 元厚7.0mm 先幅16.1mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒石目地塗鞘半太刀拵

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剣形:鎬造り、庵棟。身幅十分に、重ねが厚い。元先の幅差が開き、腰反りにやや先反りが加わり、総体に反り深く優美な姿をしている。平肉が豊かについてどっしりと重量があり、表裏には丸留めの棒樋の彫物がある。(刀身詳細写真
鍛肌:板目に杢目を交えて総体に肌立ち、地錵つき、地景の混じった鍛えに乱れ映りが立つ。
刃紋:総体小沸出来で、小湾れに小丁字を交え足、葉入り、匂い口明るく刃縁に小錵が明るく付いて、刃中一面に匂を敷いて刃色瑞々しく明るい。
帽子:表は直ぐ調子に食違いを交えて先端が鋭く尖り、「應永備前のローソクの芯」と呼ばれる特徴のあるもの。裏は直ぐに中丸に返る。
中心:生ぶ、目釘孔参個、鑢目は浅い勝手下がり。茎尻は刃上がり栗尻。棟小肉つく。太刀銘で茎の下半鎬地の上に『備州長船家重』、裏には『應永七年十月日』の年紀がある。
 室町時代は刀剣の形状に大きな変化がおこり、初期には太刀が多く、やがて中期になると打刀の製作が盛んになる。應永備前の名はこの期の備前刀が應永年紀を切るところから生まれた呼称であり、作風としては鎌倉時代の一文字や長船一門の全盛時代を懐古する復古的な作域が多い。太刀の姿は鎌倉時代のそれが腰反りであるのに対し、室町時代の應永備前は概して反りが深く、かつ先反りが加わる特徴がある。刃文は前代のものが小湾れや互の目を主調としいるのに対し、應永期の長船系は鎌倉時代のものに近似した丁子乱れに互の目を交えた刃文を焼く。盛光、康光、師光、経家や家助などの諸工らが活躍している。
 本太刀は應永七年紀の長船家重の生ぶの太刀である。初代家重は小反に属する刀工で重吉の二男として生まれた。(三男は重家、四男は重次)。義景の門下で康暦二年(1380)の年紀作がある。二代家重は大宮盛景の門で鍛刀し、同時代の家光、家守、家助等の相伝備前系に属した刀工である。
 南北朝合一による幕府政権の安定は鎌倉時代の武家政治を理想とする反面、北山文化に象徴される公家文化への憧れから刀剣は復古調となり、應永十年ころまでは、本太刀のごとく前時代にみられる小湾れにやや小づんだ丁子刃や互の目を交えるものが主調となる。やがて以降は起伏に富んだ華やかな作風へと変化して互の目に丁子、さやには腰の開いた互の目を見るようになる。また棒樋は区で丸留にするのも同時代の長船鍛冶の見所である。
 家重は現存作の少ない刀工で、年紀作としては應永六年紀の小太刀を上限とし、同三十一年期を下限としている。地・刃ともに健全な良太刀である。弐尺参寸弐分半と長寸であり、家重の白眉と称すべきものであり應永備前鍛冶研究の上でも好資料である。
 附帯の黒石目地塗鞘半太刀拵は白鮫着茶色糸巻柄、総金具揃鉄磨地唐草紋、鉄鎚目地赤銅巻物図据文象嵌鐔、矢筈図赤銅容彫目貫。柄下地、鮫皮、常組柄巻
刀装具各部拡大写真)・(拵全体写真)・(白鞘佐藤寒山鞘書きあり
時代銅はばき、白鞘付属。
参考文献
長船町史編纂委員会『長船町史』(株)大塚巧藝社 1998
本間薫山、石井昌國 『日本刀銘鑑』雄山閣