A10938(S5501)

刀 銘 備州長船勝光 永正三年八月日 附)黒蝋色塗刻鞘打刀拵

古刀 室町時代中期(永正三年/1506)備前
刃長69.3cm 反り2.6cm 元幅28.3mm 先幅16.0mm 重ね6.8mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗刻鞘打刀拵

 

剣形:鎬造、庵棟低い。茎は短く、身幅頃合いに、鎬筋が高く、腰反りに先反り深く付き小切先に結ぶ。
地鉄:澄んだ板目肌に杢目交え、よく詰んで清涼な地鉄。地鉄の底から地錵が地斑調に沸き、乱れ映りが鮮明に立つ。
刃文:小沸出来の丁子乱・小互の目乱れ交え、足射し込んで葉浮び、砂流しかかる。丁子刃の頭は地に煙りこんで湯走りとなり、一部は跳び焼となるなど闊達な地刃の働きがあり華やかである。
帽子:湾れこんでやや火炎風に尖り小丸に返る。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。茎尻は刃上がりの栗尻が張る。目釘孔壱個。佩表鎬地寄りに『備州長船勝光』、裏には一字分上がって『永正三年八月日』の年紀がある。
応仁の乱を境として戦国時代に入り、いわゆる末備前の刀工が輩出する。『右京亮勝光』は戦国時代にはじめてその名があらわれ、文明十年から同十六年の間に最も活躍している。二歳年下の弟『左京進宗光』との合作が延徳二年(1490)まで実在しており、徳川家康の指料である重要文化財「脇指 銘 備前国住長船勝光宗光 備中於草壁作 文明十九年二月吉日」 附)小さ刀拵 栃木 日光東照宮蔵がある。右京亮勝光の子『次郎左衛門尉勝光』には文亀・永正・大永・享禄年間にわたって活躍し、重要美術品「刀 銘 備前国住長船二郎左衛門尉藤原勝光 朝嵐 松下昌俊所持 永正元年八月吉日」個人蔵がある。次郎左衛門尉勝光の子『修理亮勝光』、『藤左衛門勝光』と室町時代末期まで長船の代表的鍛冶として繁栄した。
本作は身幅、重ねともに尋常に平肉が豊かにつき、鎬高く、鎬地を削ぎ、腰反りに先反り深くついた踏ん張りある美しい姿をしており、茎は片手打ちに使用するために短めである。室町中期:文明より永正頃までの約50年間は2尺前後の打刀が流行し、当然ながら、本作も打刀として製作されたものである。地鉄はよく締まり、肌立たずにしっかりとしており第一人者であることを示し、乱れ映りが立つ。刃文は丁子と互の目が重なり合った重花丁子となり華やかである。名工揃いの末備前の中にあって、地鉄がもっとも精美で、丁子乱れの名人と称された勝光の典型作である。佩表の横手下刃縁に僅かに緩んだ鍛跡があるものの、室町応永初期を思わせる優美たる生ぶ姿を保つ秀品である。
附帯の黒蝋色塗刻鞘打刀拵
縁頭 銘 光正 群馬図 赤銅魚子地 高彫 金色絵
目貫 午牛図 赤銅地 容彫 金色絵
鍔 板目に松菱・桜花図 鉄地 撫角形 鋤彫 金象嵌 両櫃孔
柄 白鮫着 納戸色糸菱巻
鞘 黒蝋色刻塗、真鍮石目地鐺
金着せ岩石はばき、白鞘付属。