剣形:鎬造り、庵棟。身幅頃合いに中間反りが深く、腰反りがつく。鎬筋高く小切先に結ぶ古雅な姿をしている。
鍛肌:小杢目肌よく詰んで潤いがあり、刃縁に棒状の沸映りが起つ。
刃紋:匂口の締った直刃を基調として、処々に節ごころがある。総体に小沸が強く付いて明るく冴える。
帽子:直ぐに大丸に返る。
中心:生ぶ。茎尻を僅かに摘む。棟側に小肉が付く。鑢目は浅い勝手下がり。茎孔壱個。鎬地に二字銘『兼吉』とある。
初代兼吉は関七流のうち最も大きな流派である善定派の始祖、惣領として南北朝末期の康応元年紀(1389)より室町初期、応永にかけて作刀が確認されている優作鍛冶である。銘鑑によると兼吉の出自は「本国大和、手掻包吉同人、または子と伝えられる。名を清治郎。法名善定」とある。本作はもっとも姿のよい作柄で京反りに腰反りが加わり、茎にも反りがある。所詮応永頃に流布した上品な姿をしており、身幅はやや狭く、鎬筋が高く小鋒に結ぶことから時代応永頃の古色ある大和色の強い典型的な作域を示している。
地鉄は杢目肌がよく詰んで潤いがあり、刃縁に沿って地沸が棒映りとなり美しい。刃文は総て直刃を焼き、匂口はよく締まり且つ、小沸が強く付くもので、処々に節ごころがあり大和色が極めて顕著である。鋩子の焼刃は上品に大丸に返り、「善定鋩子」と呼ばれる特徴的な焼刃である。
ほぼ弐尺四寸におよぶ長寸で、平肉が豊かについた元始の姿を留めた健全な体躯であることは真に好ましく、希有な初代兼吉の典型作である。
白鞘入、金着せ岩石はばき
(兼吉は室町期に七代あったと考えられている。善定派の末裔からは孫六兼元、兼房、氏房、兼道(伊賀守金道、丹波守吉道、越中守正俊の父)などを輩出している。)