E30412(W8255)

脇指 銘 和泉大掾藤原国輝 附)黒蝋色漆塗鞘脇指拵

新刀 江戸時代後期(天明頃/約230年前) 伊豫
刃長 52.8cm 反り 1.3cm 元幅 28.7mm 先幅 20.8mm 重ね 6.3mm

特別貴重刀剣鑑定書

附)黒蝋色漆塗鞘脇指拵

剣形:鎬造り、庵棟。身幅尋常に平肉が付いて物打付近の身幅張り中峰に結ぶ。
地鉄:板目肌がよく錬れて肌たち、杢目を交え地沸が付き金色冴え、地景かかる。
刃紋:総体に小沸出来で、ごく短く焼きだして小の互の目、複式互の目、のたれ刃や尖り刃などを交え中頃には島の跳焼きがある。上部の物打付近は足長丁子、跳び焼きかかり、闊達な刃文を焼いている。
帽子:直ぐ調子となり掃きかけて小丸、裏は小丸となる。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。茎尻入山形。目釘孔壱個。掃表の鎬筋上に長銘で「和泉大掾藤原國輝」とある。
初代の國輝は名を三好太郎兵衛、初銘を「長清」。長国(三好藤四郎)の門と云われるが、実子であろうか。師である長国が松山藩主「加藤嘉明」に抱えられ、安芸から伊豫国に渡り、文録の役では朝鮮に渡り、帰国後の寛永四年(1632)に嘉明の会津移封に従って会津に移住した後も伊豫に留まり、初銘「長清」を「国輝」に改めて、寛文九年に和泉大掾を受領、元禄九年(1696)没、行年七十であった。摂津の「小林伊勢守国輝」は本作の伊豫初代「和泉大掾国輝」に門人「輝政」を養子として送って系統を移した。本作は、國輝は五代、始祖である長国から数えて七代目の三好藤四郎の脇指。初銘を長次と名乗った。付帯の黒蝋色漆塗鞘脇指拵は製作当時の生ぶの拵である。白鮫着鉄色糸巻柄 - 縁は秋草図、赤銅魚子地高彫金銀色絵。頭は角口。目貫は鷺図、赤銅容彫金色絵。小柄は老松図、赤銅魚子地高彫色絵、裏金哺板。鍔は葦に舟図、山銅石目地、高彫、真鍮覆輪。
時代銀着せ二重はばき、白鞘入