O454(S828)

刀 銘 対馬守橘常光 延宝九年二月日

新刀 (延宝九年/1681) 武州
刃長71.3cm 反り1.8cm 元幅31.5mm 先幅22.0mm 元厚7.7mm

第五十回重要刀剣

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剣形:鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差つき、重ね厚め、踏張りこことがあり、反り深くつき、中峰幾分延びごころとなる。
鍛肌:板目つみ、杢・流れ肌交じり、地沸微塵につき、乱れ映り立つ。
刃紋:丁子乱れに大丁子・頭の丸い丁子・小丁字・互の目・小互の目・尖り心の刃など交じり、華やかとなり、焼に高低が見られ、足・葉よく入り、匂勝ち小沸つき、細かに砂流しかかり、処々金筋入り、匂口明るい。
帽子:小さく乱れ込み、その上は直ぐ調、表はややのたれごころをおび、共に小丸に返り、先少しく掃きかける。
中心:生ぶ、先極く浅い刃上りごころの栗尻。鑢目勝手下がり、目釘孔壱、指表目釘孔下鎬筋を中心に太鏨大振りの六字銘があり、裏に同じく年紀がある。
常光は日置姓で、通称を市之丞といい、のちに三郎左衛門と称したといわれる。生国は近江国蒲生郡で、石堂一派の刀工であり、通説によれば出羽守光平・越前守宗弘等と共に近江から江戸に移住したものとされている。しかし、『平安城住人日置出羽守源光平(裏に)承応二年八月吉日、於武州江戸庄赤坂造』と銘した刀などがある事から、光平をはじめとする他の江戸石堂鍛冶も近江から京都へ上がり、のちに江戸へ下ったとする説が有力である。さらに従来、常光は光平の兄とされてきたが、これも『日置七郎兵衛尉光平 武州於江戸廿九歳造(裏に)正保五戌子暦正月十五日 源朝臣高尾文薫所持之』と銘した短刀と『対馬守入道橘常光七十三歳 元禄十一年戌寅九月吉日』と銘した刀が現存し、これらを逆算して徴すると光平の方が六歳年長であることが分かる。また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという説にも疑問がもたれている。ともあれ、常光は光平と共に江戸石堂を代表する刀工であり、華やかな丁子乱れを焼き、古作一文字を彷彿させるものがある。
この刀は、板目のつんだ鍛えに、杢・流れ肌が交じり、華やかとなり、焼に高低が見られ、足・葉がよく入り、匂い勝ちに小沸がつき、細かに砂流しかかり、処々に金筋が入り、匂い口が明るいなどの出来口をあらわしている。同工の常々の作に比して、華やかで、焼に高低のある丁子乱れを焼いており、出来が優れている。常光の本領が発揮された一口であり、延宝九年紀も好資料である。