H81380(S8886)

刀 銘 津田越前守助廣 寛文九年八月日 附)黒蝋色花蝶文金貝塗鞘打刀拵

新刀 江戸時前期 (寛文九年・1669) 摂津
刃長70.4cm 反り1.2cm 元幅28.2mm 元重6.5mm 先幅19.1mm 

特別保存刀剣鑑定書 

附)黒蝋色花蝶文金貝塗鞘打刀拵

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二代助広は寛永十四年(1637)「島原の乱・本阿弥光悦歿年」に摂州打出村に生まれた。俗名を甚之丞と言い、初代そぼろ助広の門に学んだ。明暦三年(1657)に越前守を受領し、寛文七年(1667)に大阪城代、青山因幡守宗俊(城代は寛文二年(1662)~延宝元年(1673)の12年間)に十人扶持で抱えられた。天和二年(1682)三月四日に四十六歳で没している。作風としては初期には石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れ、さらには彼の独創になる濤瀾乱は一世を風靡し、鎌田魚妙はその著書『新刀弁疑』で「絶世の名人」として新刀最上位の鍛冶工として称揚されている。当時の大阪新刀鍛冶のみならず、新々刀期を経て現代にまで強い影響を与え、助広を規範とする刀工達は数多い。彼が濤瀾刃を形成する指向は、寛文四年頃の大互の目乱れから始まり、同六年前後からその兆しが現われたと考えられる。
 一方、助広の独創的な濤瀾乱以外で見落としてはならないものは、温雅な直刃調を終始得意としており、殊に刃縁が明るく浮き立つ様が賞讃されよう。現在、二代助広の指定品は九口の刀があり、その内訳は、重要文化財に延宝七年二月日(濤瀾・丸津田)、重要美術品に延宝元年十一月日(濤瀾・丸津田)、同三年八月日(濤瀾・丸津田)、同五年八月日(濤瀾・丸津田)二口、同七年二月日(直刃調)、同七年八月日(浅いのたれ)、同八年八月日(濤瀾)、天和元年十二月(直刃調)であり、三口が直刃調であることは見逃せない。殊に角津田に直刃の傑作があるとされるが、本作(角津田、寛文九年八月日)は助廣三十四歳、円熟期の作品である。重要美術品、延宝七年二月日、最.晩年の天和元年紀と比較しても遜色が全く感じられない。
 本作品は身幅尋常にて重ねも頃合、反り浅めに付き中峰の寛文期の典型的な姿をしている。小板目肌が極めてよく詰んで、地沸厚く敷いて、地景が入り、潤いある精緻な肌合いをしている。中直刃、浅く大きく五つにのたれて、匂い深く、小沸良くつき、殊の外明るい。抜群の出来映えで、さすがに熟達した技倆を遺憾なく示しており、彼の直刃の作品中の精華と称すべき出来映えである。その地刃の冴えは、井上真改・近江守助直・板倉言之進照包など、他大阪新刀諸鍛工の及ぶところではない。彼の茎鑢目の仕立ては『香包鑢』と称する独特の化粧鑢が施されているのが特徴で、香入れを包む袱紗の複雑な合わせ模様を意匠に取り入れた。一説には、後世の名工、左行秀が助広の直刃を手本としたと伝えられている。東の横綱、長曽祢虎徹興里とならび称される西の横綱、津田越前守助廣の希有な優品である。
)黒蝋色花蝶文金貝塗鞘打刀拵 (拵全体写真刀装具各部写真

  • 縁頭:吉野川図 赤銅磨地 金平象眼 無銘
  • 目貫:桜大樹図 赤銅容彫
  • 鐔:桜花尽図 鉄地 鋤出彫 金象眼 無銘
  • 柄:白鮫着金茶色常組糸撮菱巻
  • 鞘:黒蝋色花蝶金貝文散 鐺銀地

金着二重はばき、白鞘付属