剣形:鎬造り、庵棟、重ねが厚く、鎬筋が殊の外高い造り込みで、鎬地の肉置きが棟に向かって削ぎ落とした造り込み。物打付近も尚身幅広く大切先に結ぶ勇壮な打刀。表裏に丸留の棒樋の彫り物がある。
鍛肌:板目肌に、流れる肌合いもを交え、古雅な鍛え肌を呈して、総体にやや黒ずんだ感があり、平地には地斑調子の白けた映りが発つ。
刃紋:総体沸出来で浅く湾れて小の互の目、小丁字刃を主調に焼き、足が頻繁に入り、刃縁に小沸がよく付いて葉が刃中に浮かぶ。小丁字の逆足が複雑に絡んで乱れ、元先まで変化のある刃文で賑やかな出来口を示す。
中心:生ぶ。茎尻は刃上がり栗尻。茎孔壱個、鑢目は切り。棟肉は平。茎にも反りがある。掃表の鎬地に「加州藤原住吉次作」掃裏には「永禄十年二月日」と年季がある。
帽子:乱れ込んで先掃きかけて小丸に返る。
戦国時代動乱期から安土桃山期(注)に豪族や武将たち求められた打刀は強固な造り込みの堂々たる打刀で本作のごとく身幅広く、先幅も十分に重ねが厚く、鎬筋も凛として高いことのほか切先の延びた強固たる姿を有している。戦国安土桃山時代を生き抜いた戦国武士の誉れであり代々温存されたものであろう。加賀の古刀期は山城、来国俊の門人である藤島友重、越中、則重の門人である真景などの移住により室町時代を通じて繁栄し新刀期に及んでいる。吉次の作品は希有であり、年紀のあることも真に貴重であり資料的な価値も高く、加賀の古刀・刀工研究に欠かせない壱口である。「昭和刀剣名物帳」(村上孝介著・雄山閣)に登載(号:丁卯吉次)および重宝刀剣認定証(昭和五十三年五月二十日)付属。日本刀銘鑑(本間薫山・石井昌国著)によると時代が永正ごろとなっており、本作と約五十年も開きがあることから、同人であるなら本作は晩年作であろうか、若しくは世代がひとつ降りた作であろうか、銘鑑の記載を追記もしくは訂正すべく好ましい資料であろう。時代古研ぎの状態で掃表の平地に一カ所の鍛割れがある。豪壮な躯体を保ち、鎬筋も凛として高く、重ねも厚い健全な刀身に茎の銘鏨跡や鑢目も明瞭な完存の打刀である。本来なら加州住藤原吉次作となるべきところ加州藤原住吉次作と鏨を運ぶ。おそらくは通常二字銘「吉次」もしくは「加州住吉次」と切り慣れており、藤原姓を名乗ることは希であったのであろう。当時隆盛であった備前長船一門に看られる長銘、裏年紀であることも特筆できる。
時代銅地銀着せ祐乗はばき、白鞘入り
注)尾張の織田信長の勢力が次第に強大になり、永禄十一年(1568)に足利義昭を奉じて京都に上洛したことで、信長による政権の運営が始まることになった。元亀4年(1573年)に足利義昭を京から放逐すると、室町幕府は事実上崩壊し、名実共に織田政権が確立する。さらに、天正4年(1576年)に安土城の築城が始まり天下布武への流れが現実のものになりつつあることを世に知らしめる。こうした中、信長の支配により平和を取り戻した京を中心に新たな文化が花開いていった。信長はその後も勢力を拡大し日本中央部を制圧するに至るが、天下統一の目前と思われた天正10年(1582年)に本能寺の変で倒れた。