O94110(S1509)

刀 銘 東都住常陸守藤原兼房 安永八歳初春鍛之 附)黒蝋色漆塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代後期(安永八年/1779年)武州
刃長72.8cm 反り1.2cm 重ね7.8mm 元幅29.4mm 先幅19.9mm

保存刀鑑定書

附)黒蝋色漆塗鞘打刀拵

剣形:鎬造り、庵棟、鎬筋が凛として高く、重ねも厚く、反りが浅めにつき、中峰に結ぶ。
鍛肌:板目に杢目肌を交え、地沸つき地景が沸き出でる。
刃紋:総体に小沸が厚く付いて明るく冴える。浅く直刃調に焼きだして互の目に尖り刃、箱がかった刃など交え、物打上部はさらに焼刃高く、沸も強く、匂い深くなりここに砂流しが流れる。
中心:孔一個、鑢目大筋違いに化粧。棟に小肉付く。掃表鎬地上に「東都住常陸守藤原兼房」裏は一字下がって「安永八歳初春鍛之」とある。茎尻は栗尻張る。
帽子:表は横手下で鎮まり、直調にふくらに沿っり、帽子に島を焼いて、中丸となり返りが深く、棟焼きがある。裏は同じく直調となり深く返る。
兼房は関善定派に属し、康正~文明頃の十五世紀中頃に興った初代は左衛門次郎兼重の子で兼常の門人と伝えられる。惣領家として一族の統制を担った名門。二代兼房の三男は駿府の戦国大名であった今川氏真に仕え氏の字を賜り「氏房」と改名し後には織田信長に仕え晩年は尾張清洲城下に移り、信長の自刀後は長男である飛騨守氏房とともに福島正則に仕え、名古屋城完成に従い名古屋に移住した名門である。同門の兼房は江戸時代新刀期には美濃や尾張だけに留まらず、大和、摂津、越前にても鍛刀する。表題の常陸守兼房は初代を寛文頃、二代を享保頃、さらには三代を安永ごろとされ、武州にて鍛刀した。
安永頃にしては寸が一際長いことから注文打ちであろう、鎬筋が凛として高く克つ重ねの厚い体躯の打刀でさらにはは安永八年初春の年紀もあり、江戸新刀常陸守兼房の典型作である。附帯の初拵と鑑せられる黒蝋色塗鞘打刀拵は縁頭を赤銅地の美濃金具とし、牡丹を深く鋤き下げて金と素銅で色絵を施し、同じく渡金赤銅容彫の目貫は牡丹図で同作としている。鍔は山銅木瓜形で菊葉を薄肉彫。内外ともに原姿を伺う上出来のものである。
銅地銀着時代はばき、白鞘付属。