脇指 銘 横山伊勢守祐平同祐永 備陽長船住人 附)黒石目地鞘脇指拵
江戸時代後期(文化頃 約200年前) 備前
刃長44.8cm 反り1.0cm 重ね6.6mm 元幅29.1mm 先幅20.7mm
特別保存刀剣・保存刀装具鑑定書
剣形:鎬造り、庵棟、反りが美しく姿よく、平肉豊かに付いて中峰に結ぶ。
鍛肌:小杢目が密に詰んで青黒く冴えて、地沸が湧き出して緻密な地景がつく。総体に美麗で強く冴えた地鉄。
刃紋:直刃で焼きだして、互の目に丁字、複式の互の目交え、総体に匂本位であり刃縁には小沸が絡んで明るく冴える。刃中には匂足が頻繁にかつ長く刃先に向かって煙込んで入り、部分には砂流し流れて、太い金線がかかり美景。(刀身全体拡大写真)
中心:生ぶ。鑢目は大筋違い、茎尻は栗形。目釘孔一個。掃表鎬地上方に「横山伊勢守祐平」、行を改めて平地の下方に「同祐永」の親子合作銘。掃裏の鎬地に「備陽長船住人」の銘がある。
帽子:表裏とも直調となり、先がほつれて中丸となりやや深く返る。
横山祐平は俗名を横山覚治と云い、初銘を祐定。天明八年(1788)に薩摩に出仕し奥元平の門下で学び師である「元平」より平の一字を許され「祐平」と改銘した。寛政二年(1790)伊勢守を受領。友成五十五代孫と銘を切るものがある。文政十二年八月二十五日没(1829)行年七十五歳。次男である横山祐永は俗名を横山覚之助、兄の祐盛が後七兵衛祐定の養子となったため父の跡を継いで備前藩工を勤めた。天保四年(1833)加賀介を受領、菊花紋と「一」を茎に切ることを許されて友成五十六代孫と銘を切るものがある。嘉永四年六月二日没(1851)行年五十七歳であった。
表題の脇指は備前長船三羽烏(横山祐平、祐永、祐包)の内、備前藩工を勤めた祐平・祐永親子の合作銘の逸品である。祐平は新々刀期の正備前伝に属する刀工として推奨されるの代表工である。相州伝を本位とする時流の薩摩国奥元平に入門した経歴を持つが作域は正備前伝に徹したものが殆どで、地金は小杢目が密に詰んだもの、刃紋は丁字刃を主体に匂本位であり、備前本伝を堅守した良工として知られる。本作を詳細に見るに匂本位でありながらも刃縁には小沸が絡み、明るく冴えて更には、刃中に砂流し流れ、さらには金線までかかる部分があることが奥元平に出仕した証かとも推量できる。
附帯の黒石目地鞘脇指拵(保存刀装具)は縁頭 鷹に雀図(赤銅地、高彫、金色絵)銘 喜暉、目貫獅子図(容彫金渡)、三番叟図小柄(無銘 京金具師・保存刀装具)、鍔 水辺唐人物図(無銘 水戸金工 朧銀磨地、鋤出、高彫、色絵象嵌・保存刀装具)。鞘、柄下地、白鮫着、柄捲ともに同時代のもので生ぶの拵と鑑することが出来る。
合作銘の作品は希有でありその作域も典型を示し、親から子への正備前伝授の証としても頗る貴重な一口であり、健全な体躯であり、生ぶの拵が温存されていることが好ましい。
時代銅地金着せはばき、白鞘付属。