A37353(W3212)

脇指 銘 河内守藤原国助 附)黒掃目塗鞘脇指拵

江戸時代初期(寛永頃・約370年前)摂津
刃長39.4cm 反り1.0cm 元幅31.6mm 先幅28.5mm 元重8.0mm
特別保存刀剣鑑定書

伊勢神戸(かんべ)の生と伝える初代国助は正保四年五月三十日没(大阪竜海寺過去帳菩提寺に依る)とあり、二代と三代の年齢差により慶長初年の生と推考される。京に上り堀川国廣の門を敲いたのは慶長十六から十七年頃か、師である国廣晩年期にあたり、事実上の師は越後守国儔であることは作域や銘振が酷似していることから首肯できる。国廣歿後は活気溢れる摂津に出附して寛永初年頃に河内守を受領。老師である巨匠国廣の伝を洗練昇華させ活気ある独自の作域を樹立し、国貞とともに大阪新刀隆盛の礎を築いた。本一口は国助三十歳頃の作か、覇気旺盛たる作品で師である国儔に倣った兼定に私淑した作域を遺憾なく発揮し、堀川流のさんぐりした肌合から脱し美麗な大阪地鉄に杢目を多く交える肌目を鮮明に顕し、地沸を厚く敷いて鉄色明るく、刃高くかつ変化に富んで、刃縁は小沸で輝き、金線さらさらと流れ、総じて如何にも闊達で鷹揚、かつ淡麗。剣形は元幅が殊のほか広く、重ね厚く、先幅も当に幅広で大切先に結ぶ勇壮たる姿は誠に印象的である。大坂夏の陣直後に元和と年号を改め、天下太平を鼓舞した創始の幕開けではあるが、摂津の刀工や武人は未だ技巧を弄さず刀造りの第一義を求められた時代でもある。この脇指は当に徳川幕府の創世記の典型を示す好例である。
黒掃目塗鞘脇指拵
総金具鉄地「瓢箪に蔓の図」縁頭、小柄は金に素銅色絵、目貫は赤銅容彫金色絵「笹竹に虎図」鍔は鉄地木瓜形亀甲紋に亀小透かし(銘:信家)
附帯の拵は江戸前期を伺える生ぶのものと考察され鞘の処々に補修跡がある。小柄の糸象嵌蔓の部分に離脱跡が窺える。歴代の愛蔵品であることは首肯され。今回の出展にあたり刀身に入念なる仕上げ研ぎを施し、白鞘を新調された。内外共に江戸時代初期の原姿を留め生ぶ完存で、稀有の脇指。
時代銅はばき、白鞘入り