正阿弥は刀剣の本阿弥と列んで、金工として足利将軍に仕えた権威ある家柄。後藤家や梅忠家と共に三代流派を形成して桃山時代から明治初頭の廃刀令発布までのおおよそ三百年の永きにわたり日本各地で隆盛した名門。
京正阿弥派は江戸時代初期から中期の元禄頃までの間、京都で制作された鐔を指している。皇都として政治、経済、文化の中心として皇室や公家を中枢とする優雅な風習が育まれ、武より文に重きを於いた繊細優美な作品が主流を占めた。同派は雅で風格のある画題を丸形の鉄地鉄を小透或いは肉彫地透して、金を多用した布目象嵌を施したものが多い。櫃孔は丸く幅広で切羽台は先尖らずに小判形となる。
水門の板目肌と堰き止められた波濤は毛彫・肉彫で刻され、波に躍動する桔梗草であろうか、秋草の布目象嵌は日向を想わせ、遠近感ある水門枠には板目状の金象眼がある。
図案風の動的な画題に金象眼を多様する京正阿弥の典型である。
江戸時代前期