Tuba2792a

KIKU Chrysanthemum flower Tsuba

Signed : Oite Sanshu Nishio Kunitomo MASAYUKI-saku

KIKU flower shape, Iron ground, Open work, Masame forging surface, contoured Maru-mimi rim

77.5mm x 73.6mm 5.0mm thick (Mimi) / 4.9mm thick (Seppa-dai)

NBTHK(Hozon) certificate

 江州坂田郡国友村に鉄砲鍛冶が出自したのは天文十三年(1544)と云われている。日本人が鉄砲、火縄銃を手にするのは種子島にポルトガル人が流れついたのは天文十二年。故に翌年には日本で鉄砲の製作が始まったことになる。江戸時代になると松平乗邑に仕えた国友は松平氏の転封にしたがって、亀山、淀、佐倉、山形、西尾へと移住していった。
 西尾における国友鐔は『正命』(明和頃)、『正幸』(安永~寛政頃)、『正重』(享和~文化頃)、『重貞』(天保頃)の各代である。『正命』、『正幸』はおいては『さはり象嵌』と呼ばれる流し込み象嵌の技法がみられる。

 変わり形のこの鍔は西尾国友二代 『正幸』の作。良質の鉄地に柾目肌の鍛目をみせ、丸耳にも鉄骨状の異鉄粒を魅せる。縦状の菊花形は下部を張らせてお多福形となり、左斜上半の七つ花弁を陰透しとして右斜下半の六つ花弁形を模る地鉄は柾目肌顕著。耳への太い繋ぎは尾張鐔の造形を保ちながら、左右非対称な画題は江戸の粋で斬新な意匠を採り入れており赤坂鐔の影響を看取することができる。柾目鍛明瞭に重ね厚く切羽台にかけて僅かに中低となる肉置きは力強い。三河尾張両国の出身者が主導権を把握していた当時は、鉄味良好な尾張透の手法に粋で斬新な意匠を融合して武人の好尚に応じた。良質の鋼を用いた鉄鍛目地に、思い切った奇抜な構図は同工『正幸』の典型であり、鐔工として作域の広い作者で多彩な作風を観ることができる。

 『正幸』は本職鉄砲師。西尾城主二代『松平乗官』に仕えた。妻は初代『正命』の娘、はじめ国友勇右衛門、のち国友勘五右衛門と改めた。享和元年六月十九日歿

江戸時代中期、安永~寛政頃(1772~00)